勘三郎さんの葬儀告別式が行われました
12月27日(木)、東京 築地本願寺で、5日に逝去された中村勘三郎さん(本名:波野哲明 享年57)の葬儀告別式が行われました。
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式に先立ち、喪主の中村勘九郎、中村七之助と、妻の好江さん、勘九郎の妻の愛さんが、勘三郎さんの遺骨、位牌とともに、平成中村座が今年5月までロングランを続けていた東京・浅草の隅田公園、松竹本社ビル、新橋演舞場、建設中の歌舞伎座を訪れました。隅田公園では地元有志のお囃子と、5月公演の『め組の喧嘩』でも登場した三社祭のお神輿が遺族を出迎え、最後は大きな拍手で送り出しました。
建設中の歌舞伎座では、現場の建設関係者や舞台スタッフらが並ぶなか、勘九郎、七之助、好江さんが、客席後方から完成しつつある舞台を望みました。そして、建物外に集まった故人を偲ぶファンから、「中村屋!」「日本一!」との掛け声を受けて劇場を後にしました。
告別式の式場には、平成17(2005)年の「十八代目中村勘三郎を祝う会」で撮影された遺影が飾られ、菊などの白い花々で覆われた祭壇の奥には中村座の定式幕がかかり、左右には家紋の角切銀杏があしらわれるなど、先代勘三郎さんの本葬と同様の設え。本堂の壁には『籠釣瓶花街酔醒』佐野次郎左衛門、『春興鏡獅子』獅子の精など、生前、当り役とした舞台写真が並びました。
日本俳優協会会長として弔辞に立った藤十郎は、「これからの歌舞伎界を引っ張っていってくださると信じて疑いませんでした。お二人の息子が立派に成長して、あなたの芸と心、情熱を受け継いでおられます。いつまでも歌舞伎界を見守ってください」と語りかけました。
三津五郎は「今でも横で踊っている君の息遣い、いたずらっぽい目の表情、躍動する体が甦ってきます。君が誰にも真似のできぬ圧倒的な境地に達した役者だったよと伝え続けたい。僕がそちらに行ったら、また一緒に踊ってください」と涙し、仁左衛門は「全部"濃い"友だちは哲ちゃん一人。素晴らしい先輩たちとご一緒にいられて、素晴らしいお芝居を見せていただいて、素晴らしい指導を受けていると思います」と、それぞれに募る思いを述べました。
その後、喪主として挨拶に立った勘九郎は「こんなに愛されている人の息子に生まれて本当に幸せ。その血が自分の中に流れていると思うだけで力が出ます。これからは父が愛した厳しい歌舞伎の道を、しっかり前を向いて進むしかありません。中村勘三郎を、波野哲明を愛してくれてありがとうございます」と、大きな感謝を伝えました。
また、七之助は「私たちには、皆様から父が受け取った愛を、一生をかけて恩返しすることしかできないと思います。兄の襲名を全力で支え続けることを胸に刻み、一日一日舞台を勤めます。いつでも見てくれていると思い、勘三郎の息子として恥ずかしくない舞台を勤めていきます」と、さらなる精進を誓いました。抜けるような青空の下、勘三郎さんと最後のお別れをしたいというファンの列は、いつまでも途切れることがありませんでした。
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勘三郎さんは生前の功績により、文化庁より旭日中綬章を、長野県松本市からは松本市名誉市民の称号を贈られました。