第2回 飾りものにまつわる、珠玉の物語
姫や傾城の髪を豪華に彩る、さまざまな飾りもの。
それは、間近で見てもため息が出るほどの美しさです。
文・構成/田村民子、写真/小澤義人
典型的なお姫様のかつら
床山が結い上げた髪にあでやかな飾りが付加され、独特の造形美を放つ、女方のかつら。それは公演が終わると惜しげもなく解かれ、形を失います。髪を結う技術は、美術館で保存される芸術品のように不変の形をもつものではありません。しかし、生活・芸能の文化が連綿と織り込まれた、市井の優れた芸術といえます。
今回はかつらを彩る飾りがテーマ。知っておくと観劇がさらに楽しくなるお話を、女方の床山として活躍されている有限会社光峯床山の高橋敏夫さんから教えていただきます。
問:お姫様が付けている銀色の大きなかんざしについて詳しく教えてください。
答: 私たちは「花かんざし」と呼んだり、お姫様が髪の前方にさすので「姫の前ざし」と言ったりしています。ひとつ見本を出してみましょう。
丸く見えるのは小さな梅の花。この花かんざしの場合は、縦に4つ連ねたものが13列、3つ連ねたものが左右の両端についていて、全部で梅の花が58輪あります。客席からは見えにくいかもしれませんが、花だけでなくて小さな蝶もたくさん付いているんですよ。この蝶は俳優さんが動くと、ほのかに揺れるようになっています。
花かんざしの垂れ下がっているびらびらは金属製ですが、花の部分は紙で作られています。これを作る職人は東京にいらっしゃるのですが、たった1人になってしまいました。この技術が伝承されないと新しいものは作れませんから、なんとかしなくてはいけないと思っているところです。
高橋敏夫さん。九代目澤村宗十郎丈を担当し、復活物のかつらの結い上げにも多く携わった。現在、坂東玉三郎丈を担当。床山の見習い時代は、師匠のそばで仕事をつぶさに見て学んだそうだ。師匠に「これ、締めてごらん」と言われ、「はい」と言ってやってみる。「これじゃ、きついよ」と駄目出しを受ける。そうして身に付けた技と心を今は若い世代に伝えている。
問:傾城(※)の髪型は独特ですが、なにか約束事はありますか。
答:傾城はたくさんのベッコウのかんざしを挿しますが、縦方向に差しているものに注目してみてください。玉かんざしを2本と、松葉のかんざしを2本さすのがきまりです。
傾城のかつらは後ろ姿も豪華で、金糸で作られた「結び」という大きな飾りがつきます。結び方にも種類があって、「梅結び」「菊結び」など役によって使い分けています。『助六』に登場する揚巻は傾城のなかでも大役とされているため、揚巻にしか許されない「揚巻結び」という特別の「結び」もあります。至上の飾りが最もシンプルな形。江戸の粋ですね。
※傾城:上級の秀でた遊女。お殿様が執心しすぎて政治がおろそかになり、城を傾けてしまう、というたとえから。
左写真:「梅結び」の飾りを付けた、傾城のかつら
右写真:左から「揚巻結び」「菊結び」「梅結び」
次回予告 第3回(最終回)は、かつらの髪のお手入れについてうかがいます。お楽しみに!
『百椿図(部分)』根津美術館 所蔵
長い戦乱の時代が終わり、天下泰平の世となった江戸時代は、人々の暮らしにゆとりが生まれ、歌舞伎が誕生するなど、さまざまな芸術や文芸が爛熟しました。歌舞伎の舞台などで現代に伝わる芸術的な髪型も、江戸文化の賜物のひとつ。おしゃれな女性たちは、当時のファッションリーダーであった吉原の遊女の最新ヘアスタイルを真似ようと、鬢(びん)付け油や椿油を用いてスタイリングにいそしんだようです。
平和な治世を象徴するともいえる現象のひとつに、大名から庶民まで広い階級で巻き起こった園芸ブームがあげられます。その先駆けとなったのは、実は椿。徳川二代将軍・秀忠は椿のとりこになり、江戸城内で熱心に椿を育て、諸大名や庶民にまで大きな影響を与えたそうです。
この『百椿図』は、こうしたブームの中で生み出された芸術作品。生活の道具に椿をあしらうというスタイルで、とりどりの品種が美しく描かれています。それぞれの絵には水戸光圀公をはじめ各界の著名人が漢詩や和歌を寄せており、園芸の背後に文学的な遊びの精神があったことがうかがえます。『百椿図』を眺めていると、細部まで贅を尽くし心ゆくまで美を愛でた江戸時代の人々の心の豊かさの一端を感じることができます。