ニュース
仁左衛門が語る、大阪松竹座「七月大歌舞伎」
7月3日(火)初日の大阪松竹座「七月大歌舞伎」に出演する片岡仁左衛門が、公演に向けての思いを語りました。
▼
「歌舞伎が関西でなかなか開けられなかったときからやってきた、大阪の7月の公演。今回は襲名披露ですし、いつも以上に座員一同頑張って、お二人を盛り立てたい」と、二代目白鸚、十代目幸四郎の襲名披露に祝福の気持ちを込めた仁左衛門。今年はいつにも増して熱いひと月になりそうです。
名優の映画を見直して舞台に立つ『勧進帳』
昼の部では、幸四郎が襲名披露公演で再び弁慶に挑む『勧進帳』で、富樫を勤めます。幸四郎は「お父さん(白鸚)の富樫でも弁慶をやっているし、播磨屋さん(吉右衛門)でもやっている。比べられるのがつらい」と冗談めかしながら、「幸四郎くんとは初めて。人それぞれの弁慶がありますから、どんな弁慶か楽しみ」と笑顔を見せました。
『勧進帳』の舞台を勤める前には、七世幸四郎の弁慶、十五世羽左衛門の富樫、六世菊五郎の義経の映画(昭和18年1月歌舞伎座で収録)を見ると言います。「初めての弁慶を朝日座でしたとき(昭和42年3月)、東京の試写室で見せてもらったのが最初」。弁慶と富樫の問答は、富樫が問う順番を間違えると大変なことになり、「ある意味で弁慶よりしんどいのが、なかなかわかってもらえない」とこぼしつつ、映画の「あの運びがすごい。それに近づくように」と意気込みを見せました。
仁左衛門は公演中でもほかの人の映像を何度も見ては、「自分でいいと思っていても、人のを見るとこれじゃだめだ、という気がする。これでいい、というのがない」と明かしました。「自分を映して客観的に見ると、こういう思いでやっていたのに、全然違うということがいっぱいある。昔の方は(自分の演技を見る)方法がなかったのに、あそこまでの芸をなさっていた。昔の俳優さんてすごいなと」、どこまでも貪欲に役を追い求める姿をかいま見せました。
せりふをお客様に心地よく届ける『御浜御殿綱豊卿』
昭和57(1982)年6月、仁左衛門の綱豊卿、五世富十郎が助右衛門の中座の舞台を、「(演出の)真山美保先生が褒めてくださって、賞をあげたいと、真山青果賞が始まりました。たいへん思い出深いお芝居で、劇場は変わりましたけど同じ大阪でやらせていただける。非常にうれしい」と、仁左衛門は大阪松竹座で2度目の『御浜御殿綱豊卿』に出演します。「巡礼にご報謝」と子役で出たときから、「子ども心に(三世)寿海のおじさんの綱豊卿に憧れていました」。
「原本を読んでいると、言いたいせりふがたくさんある。でも、それを全部言っても、お客様が全部を受け取るのはなかなか大変。昔はもっとうたったりするところも多かったんですが、最近はあまりうたわず、心地よくお客様の耳に届けるようにしています。独りよがりにならないようにして、綱豊、可哀そう、助右衛門も可哀そう、互いの気持ちがよくわかる…、そこに持っていかないといけないと思います」
今回の助右衛門は、南座の顔見世の襲名披露で勤めた中車。仁左衛門が肩を痛めて休演したためかなわなかった共演が、ここで実現します。「そのときにお稽古をつけていました。非常に熱心なので楽しみですね」と喜んだ仁左衛門は、「本当はいろいろと屈折がある助右衛門が好き。もう一度演じてみたいたい」とも。
どこか憎み切れない『女殺油地獄』の与兵衛
夜の部では、幸四郎が与兵衛を勤める『女殺油地獄』の監修にもあたります。「与兵衛はお客様を腹立たせないように演じるほうがいい。憎み切れないところをつくらないと、嫌な芝居になってしまいます。とんでもないことをしているけれど、なんとなくその人物にひかれる、許せるというふうにもっていくのがいいと、私は思います」。また、人間が演じる歌舞伎だからこそ、俳優が持っているものや人間性が役に出てくるので、こうしなければならないと押し付けることはしないと述べました。
仁左衛門が当り役にして何度も勤め、幸四郎をはじめとする若い俳優たちが、次々と与兵衛に挑戦しています。「私の与兵衛を見て、自分もやってみたいと思ってくれたならうれしい。それは、私たちの先輩方にご恩返しができるということですから」。三世延若から教わった役を次へと受け渡すことで、受けた恩がつながっていくことを喜びました。
▼
大阪松竹座「七月大歌舞伎」関西歌舞伎を愛する会 第二十七回は、7月3日(火)から27日(金)までの公演。チケットは、チケットWeb松竹、チケットWeb松竹スマートフォンサイト、チケットホン松竹で6月5日(火)発売予定です。