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中車が浅草芸能大賞奨励賞受賞、又五郎「スターの手型」顕彰

中車が浅草芸能大賞奨励賞受賞、又五郎「スターの手型」顕彰

 「第34回浅草芸能大賞」 左より、服部征夫台東区長、市川中車(奨励賞)、石坂浩二(大賞)、ホンキートンク(新人賞)

 3月17日(土)、浅草公会堂で「第34回浅草芸能大賞授賞式」が行われ、奨励賞の市川中車が登場、また、「スターの手型」顕彰式には、中村又五郎が登場しました。

猿翁、猿之助も受賞している浅草芸能大賞

 東京の桜の開花宣言と同じ17日に行われた「浅草芸能大賞」の授賞式。公益財団法人台東区芸術文化財団が創設したこの賞は、大衆芸能の奨励と振興を図る目的で昭和59(1984)年に始まり、今回が34回目となります。奨励賞はこれまでに十八世勘三郎、十世三津五郎、猿之助、勘九郎、幸四郎が受賞しています。今回、中車への奨励賞授賞は、「46歳で歌舞伎の世界へ入り、挑戦し続ける姿は多くの人々の心を打ち、歌舞伎を愛する台東区民からの支持を集め」たことによると発表されました。

 

 中車はうれしさと同時に、「歌舞伎という芸道で、僕はまだ何もできていないと思っております。そのなかでこのような賞をいただけるのは、皆様の援護支援の賜物。これを励みとして、この芸道を一つでも前に進めるように、歯を食いしばって全身全霊で精進していく、その新しい機会をいただきました」と、深々と頭を下げて感謝の念を表しました。父の猿翁は平成14(2002)年に大賞を受賞しており、父、従兄弟と同じ浅草芸能大賞での受賞を「感慨深い」と喜びました。

 

中車が浅草芸能大賞奨励賞受賞、又五郎「スターの手型」顕彰

人生のポイントとなった瞬間が浅草だった

 記念のトークで再びステージに上がった中車は、襲名からの日々を振り返りました。「自分の体が年月を経て楽器になっていくのが歌舞伎だと、僕は思います」。声、息使い、立ち居振る舞い、体を通して歌舞伎をつくり上げることは、20年以上やってきた映像の世界とは真逆でした。画角に入る上半身に力を込めてきたことが、「(舞台の)板の上で重々しく立つことをどれだけ阻害しているだろうと思うと、相当なマイナスです」。しかし、この年齢で挑戦することがあるのはうらやましいと人に言われ、「最近は、きついだけではない瞬間も、少し芽生えてきている気がします」。

 

 「先代が一番喜んでいるのでは。寛永寺に報告に行かないと」と、浅草での受賞を喜んだ中車。従兄弟の猿之助に偶然、初めて会ったのが、「36歳で初めて(父方の)墓参りに行った上野の寛永寺」。父方の祖母、高杉早苗に最初で最後の出会いとなったのも浅草。そして忘れられないのが、襲名披露を発表した平成23(2011)年の暮れ、「浅草公会堂での新春浅草歌舞伎の舞台稽古」だったと言います。

 

 歌舞伎の楽屋に初めて行き、猿之助の拵えをビデオに撮って、「化粧の練習手本にし、着替えはどうするのか、道具調べなど、映像なら監督がすることを役者がすることも知りました」。初めて歌舞伎にふれた瞬間が浅草であり、團子の初めての隈取も浅草の楽屋。猿之助や團子がますます活躍する「澤瀉屋がどうなっていくか楽しみ。そのとき、端くれながらも舞台に一緒に立っていたら、自分は間違っていなかったという誇りになると思います」。真摯な話しぶりにユーモアも交え、会場を魅了しました。

中車が浅草芸能大賞奨励賞受賞、又五郎「スターの手型」顕彰

 浅草公会堂の正面入り口のスターの広場からオレンジ通りの歩道上に、新しく手型が飾られる被顕彰者として選ばれた又五郎は、「平成29年度スターの手型」顕彰式でステージに登壇。昭和54(1979)年度から始まった顕彰で、今年はほかにも、歌舞伎長唄の唄方で人間国宝の鳥羽屋里長、「したまちコメディ映画祭」のシネマ歌舞伎上映でもお馴染みのいとうせいこうと、歌舞伎に縁の深い顔ぶれがそろいました。

 

大好きな浅草に手型を残す

 又五郎は「重厚さと軽妙さを併せ持ち、時代から世話まで役柄は広く、所作事にも優れており、役に対する研究を怠らない心がけは、若手のよき手本である」ことが、主な顕彰理由として挙げられ、今後の飛躍に期待が寄せられました。挨拶に立った又五郎は、「芸能の街、そして私が大好きなこの浅草に手型を残すことができましたこと、本当に感謝しております。この道は死ぬまでが勉強だと思っております。この先、生涯をかけて精進していく覚悟でございます」と語り、会場から大きな祝福の拍手を浴びました。

2018/03/18