ニュース
歌舞伎史上初「丸の内お練り」で三代目市川右團次襲名披露
12月13日(火)、東京 丸の内仲通りで市川右近改め三代目市川右團次襲名披露「丸の内お練り」が行われました。
▼
東京のビジネス街のど真ん中を貫く丸の内仲通りに登場したのは、来年1月の新橋演舞場「壽新春大歌舞伎」で三代目市川右團次を襲名する右近と、二代目市川右近を名のり初舞台を踏む武田タケル。お昼時ということもあり、広い仲通りの沿道は、近くのオフィスから駆け付けた人から、買い物や観光で丸の内を訪れた人まで、大勢の人出となりました。
江戸の昔は大名屋敷が並んだ丸の内ですが、オフィスビルやブランドショップが建ち並ぶ現代の丸の内で、歌舞伎俳優がお練りをするのは初めて。江戸消防記念会第一区頭中による木遣り唄が響き渡る中、歌舞伎俳優が東京新橋組合の芸者衆を引き連れて練り歩く姿は、そこだけタイムスリップしたかのような新鮮な風景です。ビルの上階から手を振る人や写真を撮る人の姿も見え、右近もタケルもあちこちに手を振りながら歩いていました。
◇
お練りの終着地から東京駅前の商業施設、KITTE丸の内に移動した一行は「高嶋屋!」「澤瀉屋!」の声がアトリウムに鳴り渡る中、真っ白な巨大クリスマスツリー前に再び登場しました。ひと足早い初春を寿ぐ木遣り唄が披露され、挨拶に立った右近は、襲名とお練りについてあらためて感謝の気持ちを述べました。
「大阪に生まれ育ちました私が、師匠猿翁に入門、右近を名乗らせていただきまして、その後、中学入学とともに上京いたしました。それがこの東京駅でございました。40年の時を超えまして市川右團次の名跡と相成り、そのスタートをこの東京駅で迎えられますこと、非常にご縁深く、ありがたく、また、自分の新たなスタートを切れるなと、たいへん幸せに存じております。81年ぶりの右團次の名跡の復活、このうえは、代々の右團次の名に恥じぬよう、懸命に努力精進してまいる所存にございます」
自分の出発点とも感じている東京駅で、襲名に向けて新たな決意を語った右近は、タケルが堂々とした挨拶を披露したあと、「親子ともども、芸道未熟にはございますが、精進に精進を重ねてまいる所存でござりまする。行く末長く、お見捨てなく、ご贔屓お引き立て賜わりますよう、伏してお願い申し上げます」と結び、アトリウム中から大きな声援と拍手を浴びていました。
寒い中も元気に手を振り、お練りと挨拶を終えたタケルは、「あんまり緊張しなかった」そうですが、いよいよ迫ってきた初舞台には「緊張しそう」と本音をぽろり。父と一緒に猿之助との三人宙乗りも控えており、二代目右近もこれからますます忙しい日々が続きます。
今回の丸の内でのお練りを、新しいことをやっていく澤瀉屋の精神の表れと感じているという右近。再開発された丸の内に、木遣り、芸者衆、そして紋付き袴の歌舞伎俳優、「洋の空間と和のものとの化学反応的なものが楽しめました。これから先、歌舞伎も国境を超えていくようなことをしていかないといけないかなと思います」と感慨深く、歌舞伎初の「丸の内お練り」を振り返りました。
三代目として受継ぐ右團次については、「初代、二代目右團次さんは、宙乗り、早替り、水を使った立廻りなどケレン演出のプロフェッショナル。その系譜が師匠猿翁に伝わり、そこで修業させていただいた私が右團次の名跡を継がせていただくことに、非常にご縁を感じております。(三代目として)新たな右團次をこしらえるのではなく、初代、二代目が得意とされていた芸を追求していくことが、すなわち師匠猿翁の芸を受け継いだ私にとりましても、そのまま掘り下げていくことになるのかなと思っております」。
▼
昼の部の襲名披露狂言、『雙生隅田川(ふたごすみだがわ)』には、代々の右團次が得意とした要素が全部組み込まれており、しかも「三代猿之助四十八撰」の一つでもあって、「師匠の芸をやらせていただくことで、その中に右團次さんの要素も入っている。非常に不思議なご縁を感じるし、うれしい」と笑顔を見せた右近。夜の部は、「初代、二代目が関西でも東京でも演じていらっしゃった黙阿弥作品を復活上演する『錣引(しころびき)』」が、襲名披露狂言となります。
新橋演舞場「壽新春大歌舞伎」は、来年1月3日(火)に初日を迎え、27日(金)までの公演。チケットは、チケットWeb松竹、チケットWeb松竹スマートフォンサイト、チケットホン松竹にて販売中です。
※澤瀉屋の「瀉」のつくりは正しくは“わかんむり”です。
※高嶋屋の「高」は正しくは“はしご高”です。