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二代目松本白鸚、十代目松本幸四郎、八代目市川染五郎、襲名披露を発表
2018年1月・2月、歌舞伎座で、松本幸四郎改め二代目松本白鸚、市川染五郎改め十代目松本幸四郎、松本金太郎改め八代目市川染五郎の襲名披露興行が行われることが発表されました。
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再来年、平成30年は歌舞伎座開場130年。その記念すべき年の幕開けに、ふた月にわたって行われるのが、三代同時襲名披露興行です。「初舞台から、今日の日のために自分はやってきたのではないかとしみじみ思えるほど、今は本当に幸せです」と、穏やかな笑みをたたえながら挨拶した幸四郎。今回は昭和56(1981)年10月・11月歌舞伎座「初代松本白鸚 九代目松本幸四郎 七代目市川染五郎 襲名披露」以来の、親子三代同時襲名となります。
37年ぶりの親子三代の襲名披露は奇跡
「襲名というのは、半分以上“神ってる”出来事」と、襲名を今年の流行語で表現した幸四郎の本意は、「父(初世白鸚)は覚悟を決めて三代襲名をした。翌月、床につき、明けて1月に亡くなっております。命がけで父がやってくれた三代襲名が、37年経ってまた実現できる。私の中では奇跡に近い」という驚きと喜びにあります。染五郎も「ただただ興奮している、感激している」と、顔をほころばせました。
一昨年、染五郎が明治座の『伊達の十役』で勤めた政岡を見た幸四郎は、染五郎が十代で『春興鏡獅子』を踊ったときに叔父の二世松緑が、「高麗屋にも弥生を踊る役者が出たな」と言ったのを思い出したと言います。「昨今は、もう染五郎の芸というものが、その器からあふれ出てしまってもったいない気がしていました。幸四郎という器にして、また新たに芸をいっぱい詰め込んでもらいたい」。幸四郎の思いが染五郎に受け渡されます。
幸四郎の名を継ぐことが許される役者に
染五郎は、「高麗屋の代々が演じてきた役々に一番憧れています。それを皆様に知っていただくには、自分がそれらを体現できないと」と話し、「幸四郎を継がせていただくことは、そこへ近づいていくことなのかな。継ぐことが許される役者にならないといけません。歌舞伎が好きでどこまでできるか、一度立ち止まりましたけれど、歌舞伎役者の道をやめずに今まで来て、これから命の限り歌舞伎役者でありたいと思っております」。
十代目幸四郎としての最初の決意は、「歌舞伎職人になる」と宣言した染五郎。「“歌舞伎”という言葉にこだわってやっていきたい。上演されている歌舞伎、上演が途絶えた歌舞伎、いまだかつてない歌舞伎…。歌舞伎を受け継ぎ、復活し、新しい歌舞伎をつくっていきたい」と、歌舞伎NEXTやラスベガス公演など、新作歌舞伎をつくってきた経験から導き出した今後についても語りました。
まっさらな気持ちで一から芝居を勉強したい
「『勧進帳』の弁慶がやりたい」と、父と同じ言葉を口にしたのは金太郎です。「八代目市川染五郎を襲名させていただきます。よろしくお願いいたします」。襲名を聞いたときはうれしかったそうですが、まだまだ実感がわかず言葉少なに話しました。「36年前、襲名の前に開かれた会見の映像を見直しましたが、(金太郎は)私の30倍しゃべっています。優等生です」と、染五郎が助け船を出して会場の笑いを誘い、和やかな空気に金太郎もようやく笑顔を見せました。
息子と孫に終始、温かい眼差しを向けていた幸四郎は、その名に別れを告げることに対しては、「寂しい気持ちはまったくありません。感謝でいっぱい」と語り、「九代目幸四郎は終わり、白鸚の名で、まっさらな気持ちで一から芝居を勉強していきたい」と意気盛んなところを見せました。七世幸四郎は喜寿で弁慶を勤めていますが、「お客様のお声がある限り、役者としてやらなければいけません。新作に挑戦するかもしれませんし、それはご要望次第です」。37年ぶりに復活する白鸚の名に、二代目は新たな色をつけていくことになるでしょう。
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松本幸四郎改め二代目松本白鸚 市川染五郎改め十代目松本幸四郎 松本金太郎改め八代目市川染五郎 襲名披露興行は、平成30(2018)年歌舞伎座「壽 初春大歌舞伎」「二月大歌舞伎」を皮切りに、各地の大劇場と地方の公演も含め、2年間にわたって行われる予定です。