「平成中村座発祥の地記念碑」と「勘三郎の鼠小僧の像」除幕式
4月10日(金)、東京 浅草の隅田公園で「平成中村座発祥の地記念碑」と、浅草公会堂前の十八世中村勘三郎の顔を模した「鼠小僧の像」の除幕式が行われ、中村勘九郎、中村七之助が式に出席しました。
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2000(平成12)年11月、平成中村座が幕を開けた隅田川河畔の隅田公園に、「平成中村座発祥の地記念碑」が、浅草観光連盟を中心とする記念碑建立実行委員会によって建てられました。場所は、待乳山聖天にも近い山谷堀と呼ばれるところで、十八世中村勘三郎の最後の平成中村座公演となってしまった7カ月のロングラン公演を行った場所でもあります。
富士滋美 記念碑建立実行委員会代表から、「平成中村座が誕生した喜び、11年後には7カ月もの間、ここに平成中村座があったうれしさ、その年の12月に勘三郎さんが亡くなり、神輿で送った悲しさ、そして今また平成中村座が開かれていることの感謝、すべての思いを込めてこの石碑を建立しました」とのご挨拶に続き、1195名から1,130万円を超える募金が集まり、石碑と鼠小僧像の建立、さらには補修など維持のために使用していく旨が報告されました。
祝辞の中で、安孫子正松竹株式会社副社長は感謝と祝福とともに、「十八代目勘三郎さんが江戸歌舞伎の芝居小屋を浅草に建てたいと、途方もない夢を語り、浅草の方々のご協力、ご理解で実現したことが、こののちの歌舞伎に大きな影響を与えました」と述べ、あらためて平成中村座とその建立の地記念碑の意義の重要性に触れました。
勘九郎は「皆様のお力で記念碑が建ったこと、うれしくもあり…、“なんだかな”。というのも、父がいたら建っていないわけですから…。父が19歳のときに唐十郎さんの紅テントを見て、こういうところで歌舞伎をやりたいと夢を持ち続け、平成中村座が建ったときの父の顔を僕は一生忘れません。建った喜びとさあ始まるぞという覚悟の顔。緊張が伝わってきました。ここで襲名できたことを誇りに思います」とご挨拶。
七之助は「父が逝ってから、父が愛されたことのご恩返しをと舞台を勤めていますが、こうしてまたまた皆様から愛をいただくと、いつになったらお返しできるのかと思ってしまいます。募金によって碑が建つのは、父っぽくてうれしいです。死してなお皆を一つの目標に向けて引っ張っていける、すごいなと。出演者や皆さんの血と涙と汗が染みている、思い出の詰まった地に碑が建つのは本当にうれしいです」と語り、二人で現在の平成中村座公演を一所懸命に勤めることを誓いました。
幕が引かれて現れた記念碑は、十八世勘三郎の背丈と同じ高さで、「一味徒党の連判状」と題して、募金者の氏名を記した巻物が碑の下に納められました。祝いの鏡開きには除幕式に駆けつけた坂東彌十郎と坂東新悟が加わり、お集まりの皆さんに振る舞い酒も行われました。
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今年、3年ぶりに浅草へ帰って来た平成中村座は、浅草寺の境内での公演です。その参道、伝法院通りの浅草公会堂前にある「鼠小僧の像」が、記念碑建立と公演に合わせて勘三郎の顔に似せてつくり直され、記念碑除幕式に続き、こちらの除幕式も行われました。
除幕式にはモデルとなった『野田版 鼠小僧』の作・演出の野田秀樹氏が飛び入り参加、「ちょっとのぞこうと思ったら見つかってしまって…。2年ちょっと経っても、皆さんに愛されて、本当に幸せな人だと思います」と祝福しました。
お目見得した像は、「本当に似ていてびっくり。雨や雪や寒い日は心配になりますね」と勘九郎、七之助も驚くほど十八世勘三郎にそっくりで、その視線の先には、浅草公会堂の舞台があります。
「お正月の浅草歌舞伎は若手歌舞伎俳優の登竜門といわれる公演で、その劇場の前に父の像。若手に、“父が見ているからしっかりやってね”と言います」と七之助。「浅草の人たちの心意気がいい。街全体で盛り上げ、僕たちを鼓舞してくれる心意気を感じてうれしいです」と勘九郎も語り、「父のもとに生まれたことを二人で誇りに思い、いい芝居をしていかないといけません」と、気を引き締めました。
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「記念碑が建ったことで、子、孫、曾孫に、平成中村座が最初に建った地と伝えられる。ロングラン公演、今回の公演…、未来につながる公演ができたことは、父の残してくれた宝物」と言い切った勘九郎。七之助と二人、父への思いを胸に感謝と喜びにあふれる式となりました。
「平成中村座 陽春大歌舞伎」は、5月3日(日・祝)までの公演で、チケットは、チケットWeb松竹、チケットホン松竹にて販売中。各公演の開演1時間前から劇場窓口で販売される当日券は、先着順でお一人様1枚、お支払いは現金のみとなります。