三津五郎さんの葬儀告別式が行われました
2月25日(水)、東京 青山葬儀所で、坂東三津五郎さん(本名:守田寿 享年59)の葬儀告別式が行われました。
▼
21日(土)に逝去された三津五郎さんの本葬が、25日に行われ、歌舞伎界、日本舞踊界はもとより故人を偲ぶ約5000人の参列者が、最後のお別れの時を過ごしました。斎場には平成21(2009)年に撮影された遺影が掲げられ、三津五郎さんが好きだったという青色の花と白い花で彩られた祭壇には、紫綬褒章(平成21年受章)が飾られていました。
弔辞として迫本淳一松竹株式会社社長は、「昨年4月、歌舞伎座の舞台に『壽靱猿(ことぶきうつぼざる)』で復帰されたとき、お客様の万雷の拍手の中に現れたあなたの笑顔、楽しい舞台が忘れられません」と話し始め、懐かしい名舞台と数々の功績を称えることで、参列者に三津五郎さんの舞台の記憶を呼び起こさせました。
公益社団法人日本俳優協会理事長として弔辞に立った尾上菊五郎は、生前の思い出話に続き、「あなたは本当に若手をかわいがり、育ててくれました。君のまいた種が花咲き、実をつけ、これからの歌舞伎を背負って立ってくれるかと思うと、私もとても楽しみです。楽しみと言えば巳之助君。私ども俳優協会として、菊五郎劇団の一員として、先輩として、きっと立派な役者にしてみせます。そして、大和屋を背負っていってもらいたいと思います」と語りました。
國分正明公益社団法人日本舞踊協会会長も、協会の常任理事であった三津五郎さんに感謝の言葉を重ね、「日本舞踊協会は、三津五郎さんの深い想いと志を無にすることなく、未来に向かって着実に歩んで行くことをお約束いたします」と、故人を失った悲しみを抑えながら弔辞を述べました。葬儀委員長の大谷信義松竹株式会社会長は参列の御礼とともに、「これからは故人に賜りましたご厚情を、遺族の皆様、ことにお若い巳之助さん、二人のお嬢様に対して賜りますようにお願いいたします」と、ご挨拶しました。
◇
最後に喪主として立った巳之助は、「父は私に、本当は『喜撰』は仁(にん)ではないと思うけれど、うちの大事なものだからやらなければいけないんだよ、と言ったことがございました。そんなふうに思いながらよくぞあそこまで、…心から父を尊敬いたします。父の芸は、誰にでもできるような小さな努力を、誰にも真似できないほど膨大に積み重ねた先にある、一つの究極の形だったのではないかなと思います」と、歌舞伎俳優坂東三津五郎への敬愛の念をしみじみと語りました。
さらに、歌舞伎座柿葺落公演で(平成25年6月)三津五郎さんが『喜撰』を勤めたとき、揚幕で出を待ちながら、「もし死んだら、これを棺桶に入れてくれよ」と弟子に言っていたという話も披露。「弟子が覚えていてくれたおかげで、(喜撰法師の小道具)花錫杖(はなしゃくじょう)と姉さん被りの被り物を、棺に入れてやることができました」。
「本日は数々のご無礼があったかと思いますが、父がいなければ何もできなかったわれわれ家族、スタッフが、一切父の手を借りず、一切父の意見を聞かずに初めて務めた仕事でございましたので、なにとぞご容赦ください」、と巳之助がご挨拶の最後に語った言葉は、失ってしまった父であり師匠である三津五郎さんの大きさを、あらためて感じさせるものでした。
三津五郎さんに最後のお別れをと足を運んだファンの列は、いつまでも途切れることなく、焼香が済んだ頃にはすっかり日も落ちていました。そして、「大和屋!」「十代目!」の声がかかる中、三津五郎さんのご遺骨は葬儀場をあとにしました。