三代目尾上左近初舞台を発表

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右より、尾上菊五郎、藤間大河、尾上松緑

 
 歌舞伎座 「六月大歌舞伎」 『蘭平物狂』繁蔵役で、藤間大河が三代目尾上左近を名のり、初舞台を踏むことになりました。4月24日(木)、尾上菊五郎、尾上松緑、藤間大河がその発表会見に臨みました。

 「いよいよこの6月に、松緑さんのご長男の大河さんが、お祖父様、お父様が名のっていらっしゃった尾上左近として、初舞台を踏むことになりました」と、はじめに松竹株式会社専務取締役演劇本部長 安孫子正より発表がありました。

 初代辰之助と数々の共演を重ね、松緑、大河を見守ってきた菊五郎は、「歌舞伎座さよなら公演で初御目見得(平成21年10月『音羽嶽だんまり』)、その後も辰五郎倅又八(『め組の喧嘩』同24年1月新橋演舞場)、丁稚(『魚屋宗五郎』同23年11月、『文七元結』同24年11月ともに新橋演舞場)、国立劇場の復活狂言(『夢市男達競』同25年1月、『三千両初春駒曳』同26年1月)などに出ていましたが、なかなかしっかりした子役です。(初舞台披露の)繁蔵も大丈夫だと思います」と、ご挨拶しました。

尾上左近 『蘭平物狂』一子繁蔵

 尾上左近 『蘭平物狂』一子繁蔵(撮影:加藤 孝)

祖父から、父、そして三代目へ
 続いて松緑が、「私のせがれ、初代辰之助の孫が尾上左近として、父、私の名のっていた名前を三代目として襲名させていただき、初舞台としてご披露させていただくことになりました」と、感謝のご挨拶。その隣に座った緊張した面持ちの大河は紋付袴姿もりりしく、「尾上左近でございます。よろしくお願いいたします」と、元気よくご挨拶しました。
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 松緑の父、初代尾上辰之助(三世松緑)が昭和27(1952)年2月に初めて名のった尾上左近の名跡は、松緑が昭和56(1981)年2月に二代目として受け継ぎ、今回、歌舞伎座「六月大歌舞伎」夜の部『蘭平物狂』の繁蔵役にて、三代目の誕生となります。

新しい歌舞伎座で初舞台を
 大河の曾祖父(二世松緑)をはじめ、祖父、父と代々に渡り活躍した第四期歌舞伎座の「舞台を踏ませておくのがいいのでは」という菊五郎の助言で、平成21年10月、前の歌舞伎座で初御目見得を果たし、新しくなった歌舞伎座の柿葺落公演も済んだところで初舞台披露。先月の「俳優祭」では大河の名前では最後の舞台、『鈴ヶ森錦繍雲駕(すずがもりにしきのくもかご)』の長兵衛として、「お若えの、お待ちなせい」の名せりふで満場の拍手を浴びました。

白塗りの役が好き
 長兵衛はこれまでの役のなかで一番気持ちよかったそうですが、やってみたいのは『白浪五人男』の弁天小僧菊之助とにっこり。どうやら白塗りの役がお好みのようです。松緑が出演するときは砥の粉色の化粧の南郷役で、菊之助が白塗りの弁天小僧役という配役が多く、「菊之助さんばかり見ているので、父親としてはいかがなものかと思うこともあります」とちょっと苦笑い。

 今年2月に歌舞伎座で上演したときは、大河は丁稚長松で出演していましたが、「額に弁天の傷をつけてご挨拶に回っていた」と菊五郎が楽屋での様子を明かすと、「大屋根の立廻りが非常にお気に入りらしく、常からやりたいと言っております」と松緑も続けました。

のびのびと芝居をしてほしい
 さらに松緑は、「活動的で、舞台に出て何かするのが好きなようです。今はのびのびとお行儀よく、芝居ができるのが一番。(歌舞伎俳優を)続けていけば、楽しいだけでは成り立たないものですが、今はお客様に元気だね、可愛いねと言ってもらえるようにと思っています」と、父親としての思いを語りました。「せがれを育てていくことが、私の祖父(二世松緑)、父(三世松緑)からせがれを預かった者としてのつとめ」と、息子の初舞台にあたり、親としての決意を述べました。

 三代目尾上左近初舞台となる、歌舞伎座 「六月大歌舞伎」は、6月1日(日)に初日を迎えます。

三代目尾上左近初舞台を発表


2014/04/24