「猿之助として初めての浅草に」猿之助が出演演目を語る
2014年の「新春浅草歌舞伎」で、第1部『上州土産百両首(じょうしゅうみやげひゃくりょうくび)』、第2部『博奕十王(ばくちじゅうおう)』に出演する市川猿之助が、作品への思いを語りました。
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「亀治郎としては浅草歌舞伎を卒業。猿之助として初めて出させていただく」と、気持ちも新たに浅草の舞台に立つ猿之助。出演する演目はいずれも、自主公演「亀治郎の会」で復活させたもので、新たに猿之助として上演することで、「浅草歌舞伎にご恩返しをしたい」との気持ちが込められています。
「伯父の猿翁には、200回やったところから役は始まる、つまり、だいたい5公演目から役を自分のものにしていくと言われている」と明かした猿之助にとって、"再演"はとても大きな意味があるようです。「1回限りの試行錯誤も大事だけれど、やはり再演を目指したい」。新しい挑戦が単なる実験に終わらないようにすることの大切さを語りました。
歌舞伎に限らずもっと上演してほしい
――『上州土産百両首』
六世菊五郎の正太郎、初世吉右衛門の牙次郎で、昭和8(1933)年9月東京劇場で初演された作品。「オー・ヘンリーの短編が元なので、非常に洒落ているんです。歌舞伎座での上演(平成6年12月)は、猿之助(猿翁)・勘九郎(十八世勘三郎)が何十年ぶりかの共演ということで選ばれ、僕は自主公演で(平成22年8月国立劇場)、福士誠治という俳優との仲のよさが芝居に出ればいいだろうとやりました」。
男二人の友情、信頼、関係性が描きこまれており、「二人がよく"立つ"。よく見える。本当によくできている」と言います。今回の牙次郎役は巳之助。「友情とはまた違うものも出せたら面白いと思います」。猿之助の正太郎は「気のいい役で、いいせりふも多い。また、舞台が浅草の待乳山聖天様でちょうどいい」と、浅草での上演を楽しみにしている様子。そして「いろんなジャンルの人がやってくれれば」と、上演を重ねて作品を残したいという強い思いを感じさせました。
とにかく華やかで、お客様に笑顔になっていただく――『博奕十王』
「衣裳は伯父がつくったものを譲り受けて仕立て直しました。上演してほしいと伯父から台本を渡され、今の時代に合わせて短く、博奕以外のところを抜いて"博奕づくし"にしました」。博奕打ちが地獄の閻魔さまと勝負をして極楽行きの通行手形までまき上げてしまう、「とにかく華やかで、お客様に笑顔になっていただく」作品と言います。
猿翁が昭和45(1970)年9月に自主公演「春秋会」で上演、「歌詞も伯父が書いたもので、花札づくしのせりふを言いながら踊ったり、花札の絵柄どおりの振りをしたり、洒落のめしている」。猿之助が自主公演で(平成23年8月国立劇場)、地獄だからと松羽目の舞台の松を枯らし、長唄から後見まで舞台上の人の頭に三角の紙烏帽子を付けてもらったのは、自身のアイディアだったそうです。
その公演の千穐楽に大ゼリとスッポンが動かなくなるアクシデントがあり、いつものスッポンの出ではなく鳥屋から出たとき、「浅草でできる!」と思ったのが、今回の上演に結びついたとのこと。
また、とにかく客席を埋めたくて始めた苦肉の策、「お年玉」の年始ご挨拶も、猿之助となった今では「口上の訓練にもなる」と、後輩へ温かくアドバイス。そんな話の端々からも、浅草歌舞伎が「僕の根っこの一つ」と言う、猿之助の浅草歌舞伎に対する特別な気持ちが感じられました。
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