七代目中村歌右衛門 十代目中村福助 襲名披露
9月4日(水)、七代目中村歌右衛門、十代目中村福助の襲名披露興行が、来年より歌舞伎座ほか各地の劇場で行われることが発表され、中村福助、中村児太郎、そして中村梅玉が会見を行いました。
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柿葺落公演での襲名披露
福助が七代目中村歌右衛門を襲名し、女方の大名跡「歌右衛門」が13年ぶりに復活、同時に、児太郎が十代目中村福助を襲名します。親子での襲名披露興行は来年3月、4月の歌舞伎座から始まります。
はじめに、会見に出席した松竹株式会社社長 迫本淳一から「誠に大きな名跡の襲名です。それを歌舞伎座新開場後、初の襲名披露として行うことになりました」と発表があり、続けて、専務取締役演劇本部長の安孫子正より「明治44(1911)年11月、第二期歌舞伎座が誕生した折、五代目歌右衛門が襲名し、昭和26(1951)年に開場した第四期歌舞伎座の4、5月に襲名披露したのが六代目歌右衛門。そして、この第五期歌舞伎座の柿葺落興行で七代目の襲名となります」と、ご挨拶。
福助は、「お話をいただいたとき、夢だと思いました。六代目歌右衛門に憧れ、目標にして、女方の道を進んできました。その名前を自分が襲名...、ただただ身の引き締まる思いです」と、緊張の面持ちで話し始めました。「新開場後、初の襲名、名前に追いつける役者になるよう頑張るのみです」と、襲名への決意を力強く語りました。
大きな六代目の存在
六代目歌右衛門の息子として会見に同席した梅玉は、「ここまでこぎつけたのも皆様のご尽力のお蔭。歌右衛門の名前を大事に思ってくださった諸先輩の皆様の同意があってこそと感謝しています。これで、六代目、芝翫、先祖に顔向けができます。これからは一門がさらに結束して成駒屋の発展に尽くします」と、晴れやかな表情を見せました。
歌右衛門という名前の大きさは、「父からもずっと聞かされ、また、その名前をずっと守ってきた六代目の素敵さを身に染みて感じている」福助ですが、直接厳しい教えを受け、「こうして女方をやっていられるのも、六代目のおじのお蔭」と、名前の大きさを六代目歌右衛門の大きさとして感じていることがうかがえました。
福助も同時襲名
五代目歌右衛門の遺言に「福助の名跡は一瞬たりとも空白にすべからず」とあり、今回、十代目を児太郎が同時襲名することになりました。児太郎は「生まれたときから父が福助だったので、その名前を継ぐことがありがたい。成駒屋に恥じない役者にならないといけません。未熟者ですが、一所懸命勤めます」と、真っ直ぐ前を見て話しました。
祖父の芝翫に『娘道成寺』の花子を教わり、「絶対この役を勤めるぞ、という気持ちになり、役者としてやっていこうと」決意したとのこと。「今は稽古も芝居に出るのも幸せですが、(襲名の)プレッシャーはあります。"福助さん"と呼ばれても違和感のない役者になりたい」と笑顔を見せました。梅玉が「輝かしい福助になってほしい」と言うと、父である福助も「周りの皆さん、お客様に愛される役者になってほしい」と期待を寄せました。
「歌舞伎を一人でも多くの方にご覧いただくのが自分の使命と思って邁進していく」と言う福助。歌舞伎座公演のあとは、博多座、大阪松竹座、京都四條南座と続き(名古屋での公演も予定)、その後は地方公演でご披露されることが明らかになりました。これから親子で来年3月に向けての忙しい日々が始まります。