坂東玉三郎出演、昆劇『牡丹亭』が初の東京公演
演劇の世界三大ルーツといわれ、600年以上もの歴史を持ち、ユネスコ世界無形文化遺産にも指定されている中国の伝統演劇「昆劇」。その素晴らしい芸術性に光を当てたいという坂東玉三郎の強い思いにより、平成20年に京都南座、北京・湖廣会館にて、この『牡丹亭』の上演が実現し、大きな話題となりました。
その後再演を繰り返し、本年6月10日から13日まで「上海万博正式招待公演」として上演され、熱狂的な歓迎を受けたこの作品が、10月6日(水)~28日(木)まで赤坂ACTシアターにて初の東京公演を行います。
公演に先立って、杜麗娘(とれいじょう)を演じる坂東玉三郎、柳夢梅(りゅうむばい)を演じる兪玖林(ユ ジュウ リン)らの出演者、公演関係者が出席し、製作発表記者会見が行われました。
▼
蔡少華(蘇州昆劇院 院長)
このたび日本と中国がコラボレーションして、このように一つの作品を創り上げるということをとても嬉しく思います。私は昆劇の発祥の地である蘇州からやって参りました。このたび初演から2年の時を経て、東京で公演することができます。この嬉しいニュースを皆様にお知らせできることを大変光栄に思います。
これまでの公演では、玉三郎さんに導いて頂きながら、この昆劇という伝統劇をどのように新しくできるのかということに取り組んで参りました。今回も2年前に公演したものより、さらに発展した素晴らしい舞台をご覧頂けるかと思います。歌舞伎俳優としてとても著名な玉三郎さんが、さらにご自身でも研究をなされた結果、昆劇というもののパフォーマンスの中で素晴らしい舞台を創り上げ、新たな境地を開かれたと思っております。歌舞伎という芸術と、昆劇という芸術が融合されて、アジアにおける一つの芸術という境地に達することができたと思いますし、中国と日本における演劇界・舞台芸術界の中でも、新しい歴史を開く、ひとつの重大なポイントになると思っています。この公演が中国と日本における新しい芸術のスタートとなるよう願っております。
坂東玉三郎
2年ほど前、京都南座公演で会見をさせて頂き、今回こうして東京公演の製作発表が出来ることを嬉しく思っております。その折のインタビューでも申し上げましたが、私は京劇の梅蘭芳(メイ ラン ファン)先生に憧れておりまして、そのルーツを調べていたところ、それが昆劇であることが分かりました。そして蘇州昆劇院さんが門を開いて受け入れて下さったことは、一人の日本の俳優としてとても幸せなことだったと思います。舞台人というのは国を超えて通じ合うものですが、昆劇院の役者さん達も、皆さん協力して下さいまして、初めの方のお稽古でセリフが分からなかったら教えてくれたりなどして導いて頂きました。
そしてこのたびは北京・蘇州・上海と公演して参りまして、東京での22回の公演でございます。ここに漕ぎつけたのも本当にありがたいことでございます。今回の東京公演では初めて公に歌を披露させて頂きます。この機会を与えて頂いた皆様に感謝いたします。公演が成功しますように、昆劇院の舞台人達と一緒に、舞台の質を上げるということだけ考えていきたいと思います。
歌舞伎の世界で育てて頂いて、さらにこのような歌舞伎とは異なる舞台を支えて頂き、そういった皆様のお力添えがあってこそ、今日が迎えられたということを感じる次第でございます。とにかく力一杯、私の新しい芝居の方法というものを皆様にご覧頂いて、新しい楽しみというものを味わって頂けるように、最大の努力をしたいと思っております。
兪玖林
今回『牡丹亭』の2回目の日本公演、さらに初めての東京での1ヵ月公演ということで、大きな期待で胸を一杯にしております。まず一人の昆劇の俳優として私はとても幸せだと思います。なぜなら日本芸術界の宝とも言うべき坂東玉三郎さんと一緒に演じられる、これは俳優にとってとても嬉しいことです。そして何回かの公演を通じて私は玉三郎さんからとても多くのことを学びました。その一つは、伝統芸能の中における表現や芸術などで、とても多方面において勉強させて頂きました。それからもう一つは玉三郎さんの学ぶ姿勢、これを私は勉強しました。私もこれから玉三郎さんのような姿勢で勉強していきたいと思います。
昆劇というのは蘇州で生まれた芸術です、しかしいま私は芸術に国境は無いと思っています。そして今回の公演で、芸術には国境が無い、言葉の壁も無い、ということを全世界に証明できると確信しています。
『牡丹亭』という物語は、愛と美の物語です。それらは誰もが心に持っているものだと思います。必ずお気に召して頂けると信じています。東京公演も、一所懸命、力一杯演じられるよう頑張ります。
◇
―この『牡丹亭』をやることについての最初の心境、そして今回東京で上演することについてのお気持ちは?
玉三郎
最初は日本語で『牡丹亭』をやろうと思い、日本語で脚本を作って、昆劇院に音楽の勉強に行きましたところ、"原語でやる"ということになりました。そこで少し歌ったという3年前の事がきっかけとなって今日に至るわけです。ほんの90秒ぐらいの歌なのですが、大変難しかったのを覚えています。ですので、一番初めの心境というと"こんなことできるのだろうか?"というもので、3年経った今の心境は"ああよく覚えられたな"というものです。10月に向けてもう一度稽古しておりますが、不思議なことに、毎回やるごとに自分の言葉や歌がなめらかになってくるのが分かります。いま歌舞伎俳優として舞台に立っていることが想像しておりませんでしたのと同じくらいに、昆劇の皆さんと記者会見をさせて頂くということも想像しておりませんでして、言うなれば"夢のよう"でございます。
―兪玖林さんへ。普段昆劇の女優さんと共演されるのと、女方の玉三郎さんとはどう異なりますか?その魅力は?
兪玖林
私が普段の舞台で主に演じるのは、美男子と美女の恋、相手役は女性ということになります。この『牡丹亭』の公演で、実は初めて女方の方とご一緒させて頂いております。ですので、最初はどのように相手役に合わせていくか、とても緊張し、心配でもありましたが、稽古に入ったら、それが余計な心配であったことが分かりました。玉三郎さんは女性よりも女性らしい、細やかな仕草や動作をされます。玉三郎さんの杜麗娘はとても風格があり、古代の上流階級の女性を演じるにあたり、その伝統的な中国人女性像がよく表現されていると関心いたしました。
―梅蘭芳さんに憧れた具体的なきっかけは?
玉三郎
私の祖父である十三代目、そして父の十四代目の守田勘弥は、京劇との交流がありまして、中国公演もやっております。その時に梅蘭芳先生が、本当に大きな女方の舞台芸術家として存在を示しておられ、自分の劇団や、音楽、衣裳などすべてを自分であつらえることができる方だったといいます。また当時の中国の素晴らしいブレーンの人達、文学家、演出家、劇作家、そういう人たちが取り巻いて、一人の大きな女方というものを芸術家として引き立てていくという風習があったわけですが、そのスケールの大きさに祖父と父は憧れていたのではないかと思います。その事を祖父から父に、父から私に言われておりました。私も中国の文学・芸術に憧れを持っておりまして、そういう気持ちと合ったのではないかと思います。そして24年前に梅蘭芳先生のご子息である梅葆玖(メイ バオ ジュウ)さんに、袖の使い方、歩き方、身体の使い方を教えて頂いて『楊貴妃』という箏の曲を作ったのですが、その身体の使い方を20年以上やっていたということが、蘇州昆劇院に入るにあたっての準備になっていたと言えるかと思います。
また『牡丹亭』の「遊園」という場面は、梅蘭芳先生が京劇でなさっている『貴妃酔酒(きひすいしゅ)』に影響を与えたというもので、その元々のものを知りたいと思っていました。さらに「幽媾」は日本の『牡丹灯籠』が取り入れていますし、『牡丹亭』の芝居の中に溶け込めたというのはそういう下地があったということや、たとえば『鷺娘』で雪の中で果てていくことですとか、そういう経験があったので、各幕にそういうものを心情的に使えたということがあったと思います。
また『牡丹亭』の戯曲は、理屈や筋立てといった点では、いささか飛躍している所もあります。そこを、歌舞伎の古典で学んだ心情の飛躍・状況の飛躍といいますか、飛躍していながらも、ひとつの役柄を一貫して観ていくというやり方が、私の中で慣れていたのではないかと思う次第です。この深窓の令嬢である杜麗娘が一日にして痩せ衰えるということはないでしょうけれど、そういう恋心であったということを表現するのだという風に理解しております。
―3年間の変化は?
玉三郎
昆劇の俳優というのは、自分や先輩の歌を入れたカセットなどを毎日聞いて、覚えたりしています。ですので、ただ歌を覚えればいいというのではなく、歌い込んで味が出てくるというところに、昆劇の一つの魂というものがあるという風に思います。また昆劇の俳優たちは宴会などで先輩たちが一曲歌ったりして楽しむのですが、もう杜麗娘をなさらないような年輩の女優の方が歌われてもその中に心情が出るものなのですね。このように、歌い込んでいく、歌い継いでいくという中で表現が豊かになっていくというのが、昆劇の魅力ではないかと思います。
この3年間やってきた中で、歌を自分なりに消化して、日を重ねれば重ねるほど、心情と節と言葉が一つに合っていきますし。この10月公演の後でも、きっとそういう風になっていることを望みます。ここは到達点ではなく、芸術はいつでも通過地点だと思いますので、より自分の気持ちに沿った演技ができればというのが希望です。
▼
公演情報はこちらをご覧ください。