愛之助 楳茂都流の後継者に
上方舞の四大流派の一つ、楳茂都(うめもと)流の三代目家元・楳茂都陸平師の23回忌にあたる本年、片岡愛之助が楳茂都流家元後継者として迎えられることとなり、記者発表が行われました。
▼
楳茂都梅咲(楳茂都流舞踊協会理事)―――
先代家元の楳茂都陸平師が亡くなられて23年の今年、松竹株式会社様のご賛同や、片岡秀太郎丈のあたたかいお許しをいただき、この度、片岡愛之助丈を四代目楳茂都流家元後継者・三代目楳茂都扇性として迎えることになりました。
これまで、楳茂都流舞踊協会を流儀一門の手で運営させていただきましたが、これからは、片岡愛之助丈を中心に、喜びにあふれる希望の道を進み、ますますの流儀発展に尽くさねばならないと存じております。
尚、来る9月22日(土)国立文楽劇場におきまして、三代目楳茂都陸平の追善舞踊会を開催させていただきます。愛之助丈には二代目扇性振付けの義太夫『忠信再度の旅』を踊っていただくことになりました。どうぞ皆様のお力添えをよろしくお願い申し上げます。
片岡愛之助―――
このたび、楳茂都流の家元後継者として選んでいただいた事、本当に有難く思っております。これからは歌舞伎とともに、楳茂都流の舞一つ一つを覚え自分の物とするよう精進していく覚悟でございます。
どうぞ末永く宜しくお願いします。
中川芳三(松竹株式会社演劇部顧問)―――
私が梅咲師匠からお呼びだしを受けたのは去年の春頃でした。先代家元が亡くなってから23年間、一門で流派を守ってきたけれど、やはり芯になる人がほしい、ついては、片岡愛之助さんに楳茂都流を後継していただけないかとご相談を受けたのが最初でした。
思いがけないことで大変びっくりしましたが、翻って考えますと、上方歌舞伎の担い手である愛之助さんと、上方舞の大きな流派である楳茂都流が結びつくということは、上方の芸能文化にとって大変結構な話ではないかと思いました。
秀太郎さんは、「愛之助はまだまだ歌舞伎でも勉強しなくてはならない事が沢山ある。それなのに新しい道に踏み出すのは過ぎた事ではないか」とお考えでしたが、愛之助さんにお気持ちをうかがったところ、「上方舞・楳茂都流の後継者にとご検討いただいたことは、こんなに有難い事は無い。今の私には簡単なことではないけれども、懸命に頑張ってやらせて頂くので、宜しかったらご推薦ねがいたい」と、言下におっしゃったんです。
それで秀太郎さんも私も、その情熱に応え、この話を進めさせていただくことになりました。
後継者に愛之助さんをお願いしたのは―――
楳茂都梅咲―――
お芝居をみたり、皆さんからお話を聞き、そして周りの方に進められて。でも、「愛之助さん、うちきてくれますか?」というわけにはいかないし(笑)。
それで、(松竹の)中川さんにお願いして、こういう運びに。楳茂都の人はみんな喜んでいます。
後継者を引き受ける心境―――
片岡愛之助―――
楳茂都というと、上方の四大流派のひとつの大きな流派であることは存じ上げておりましたが、踊ったことは無く、あまりに唐突だったので正直答えがでませんでした。
父とも相談し、歌舞伎役者として精進するのは当然ですが、楳茂都流後継者として、完璧にやり遂げられるという事はもちろん言えませんし、どこま出来るかわかりませんが、力の限りやらせていただきたいと思っています。
三代目扇性の襲名について―――
楳茂都梅咲―――
すぐにでも継いでいただきたいと思ってもいますけど、これにはやっぱり多少の時間をかけて。私は来年中にはなんとかと、おもっています。
中川芳三―――
白紙の状態の愛之助さんのこれからは、並大抵のものでないと思っております。楳茂都の風といいますか、楳茂都の心と申しますか、それを体得する時間が必要だと思っております。
梅咲師匠がおっしゃるように、できれば来年一杯ぐらいで襲名ができれば、このうえないよろこびだと思っております。
追善舞踊会での『忠信再度の旅』について―――
片岡愛之助―――
ビデオで拝見しました。私が普段おどらせていただいたことの無いような振付があちこちに入っており、非常に難しいと思います。お師匠さんに手取り足取り教えていただいて体で覚えていきたいと思います。
ご自身の芸について―――
片岡愛之助―――
歌舞伎においては、松嶋屋の家の芸というものもしっかり身に付けて、芝居の色というものを大事にしたいと思っております。
そしてこれからは、楳茂都流のものをできるだけ数多く自分のものにしていきたいですし、願わくば、普段の歌舞伎興行のなかで、上演されていないような楳茂都の舞を復活し、上方独特の振りを皆様にお目に掛けたいと思っております。